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M1 紫の糸 ~光を~ La Lumière

M2Prisoner

M3  ホ・ン・ネ Real intention

M4 夕映え It was good die in loneliness

M5 幻華 Distractionof Ω 

 M6 体が風になるまで Return Me!

ボーナストラック:μμタンバリン(アレンジ&プログラミング:Team S)


Vo    Nachiko

Dr    :そうる透

Bass   :渡辺建

Bass   :和佐田達彦

G      :田川ヒロアキ

G   :竹内亨規

Key    :河野啓三

Key    :河本慎一

Vi    :武藤祐生

和太鼓 :響道宴


Mix :岡野高史

All Music&lyrics:舘岡奈智子

All Produce&arr.:そうる透

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La Lumière 

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梅雨といえば・・・

今は梅雨の真っ盛り。今年は降ったり止んだりで陽気が変だ。
梅雨と言えば紫陽花を思い浮かべるのが一般的かもしれない。
しかし私は毎年 この季節になると思い出す事がある。

それは…教習所通い。

毎度の事とはいえ私の両親はチョット変わっていて車の免許を
取らせてくれなかった。まぁ、何でも反対するのが彼等の趣味
でもあるから、何をするにも干渉されないように努力が
必要になる。

どーしても車の免許が欲しくてアレコレ考え行動に移すまでに
時間がかかった。
傘をさす梅雨時なら外出時も見つかりにくいだろうと思った。
誇れるモノといえば病的方向オンチの私が車を運転するなんて
無謀としか思えなかった。
でも身分証明書にもなるし、どーしても欲しかったから後先の
事も考えず某教習所に通うことにしたのだった。

とにかく素早く免許を取りたい!
その気持ちだけは とても強かった。
しかし幼い頃 父親が交通事故に遭って親から「車は恐い」
と散々擦り込まれていた。恐いモノだけれど免許は欲しい。
この矛盾した気持ちが忘れられない教習所通いにしていた
と今なら笑って言えるが当時は大真面目だった。

その年は雨のよく降る梅雨だった。スリリングな家からの脱出をして
早歩きで電車とバスを乗りついで教習所に向かう日が始まった。
最短で取ろうと思っていたので学科を詰め込み、すぐ翌日に試験を
受けるというローテーションを組んだ。
学科は平和だった。私の友達は最初の適性テストで落とされたと
言っていたが本当だろうか。確かに落とされても仕方ない性格の
友達だけど、アレって本当の事を書いたらマズイと思った。

学科は待ち時間と組み合わせが面倒なだけでテストもスムーズで
全く問題はなかった。
それが実習となると、これが思い出の宝庫なのだ。
初めて教官が教習所の中で車に隣りに乗って来た時、やたら
大きな声で怖くてエンジンをかけることが出来なかった。
こんな車の中で怒鳴って何になるのかしら?と思って、つい顔を
見てしまう。それが勘に触ったのかエスカレートして怒鳴られた。
最初は「ひぇ~、おっかない教官」で終わった。
次に当たった教官は初対面なのに、やたらネチネチ来る人で
何度も私に「ナチコさんって名前で呼んでいい?」とか聞いてきた。
忘れもしないプレスリーが おへちゃになって無理してシナを
作っているような感じの教官だった。エンジンをかけてギアをDに
入れるのはいいが、どうしても怖くてアクセルを踏めなかった。

そう。私は免許が欲しかっただけなのでAT限定にしたのだった。
アクセルを全く踏めないので教官がイライラしているのがわかった。
教官恐怖症になりそうだと思った時、初めて指名出来る事を知った。
運よく女性でパリパリした教官が付いた時から、毎回その教官を
指名することにした。これでこの世の春が来ると思った。

甘かった…教官が変わってもアクセルを踏めない。
ずっとクリープだけで教習所内を走る事になった。
自分が運転席に座ってハンドルを握っているだけでも
凄い事なのに、これ以上私に何を求めるのかと思った。
S字カーブも、ゆっくり ゆっくり。

ある日 教官に少しアクセルを踏みなさいと言われ踏んだ。
見事に縁石に乗り上げてばかりいて前に進まなかった。
縦列駐車などポールを全て倒してしまい入れなかった。
勿論 車庫入れなど夢の夢。それでも時間を乗っている
ので次へと進む。何だか、とてもズルをしていたのか、
それとも教官が異常に甘かったのか仮免のテストになった。

この日は指名する教官ではない。
梅雨で雨が降っているのに、こういう日に限って雨もかなり
降っている。ワイパーなんぞ動かさないと前が見えない。
このワイパーが当時 私には敵だった。
どうしてもワイパーに目が行き、ワイパーに合わせて
首を動かしたくなってしまう。多分 首を揺らせていたのだと
思う。ハンドルを握りながらワイパーと同じに首を振って
恐々とクリープさせていると教官が横で「アクセルを踏む!」
と怒鳴る。また縁石に乗り上げ、ポールを全て倒して行く。

仮免の時 大雨なのは何故?
さっきまで小雨だったのにと落ちる度に思った。
何の偶然か3回仮免で落ちて4回目で通った。

さて…恐怖の路上教習にとなった。
また指名している教官に頼んだ。
私に40キロで走れと言ってくる。無茶な話だ。
だって車は恐いって擦り込まれて育ったのだから
スピードなんて出せないではないか。
ましてや車線変更などハードルが高過ぎる。
目視するとハンドルを見た方へ一緒に動かしてしまう。
教官は命の危険を感じたらしかった。
何度も教官の椅子の前のブレーキを踏まれた。

しかも路上教習に出ると、どういう訳か私はトイレに
行きたくなって我慢ができなくなるという不思議。
途中でトイレのあるビルや場所に逸れてコースを取る。
路上教習の度にトイレなので教官も慣れてしまい、
何処のトイレが良いかとか考えてくれるようになった。
詳しい事は知らないが路上教習って走るコースが
決まっていたような気がする。
あれだけ路上教習に皆出て行くのに私が出て行く先に
同じ教習所の車を一台も見たことがなかった。
病的方向オンチの私は教官に言われるがままに、
「はい、右に曲がって。左に曲がって。」という声だけを
頼りに最終地点の教習所に戻るという日が続いた。

そして 考えたくもない高速道路での実習は指名教官では
なかった。違う教官が担当するらしく、私が車をノロノロ
動かすとビックリして「60キロは出して」と言われた。
いや…無理ですからと内心思いながら返事だけして
ノロノロ走って高速道路に向かった。

何と高速道路の教習は100キロ出さなければいけない
と言うではないか。
横で教官が「はい。アクセル踏んで100キロ!」と
掛け声をかけてくる。
無理…無理…無理

何度同じセリフを教官に叫ばせただろう。
「はい。アクセル踏んで100キロ!」
その声は 虚しく肩すかしを食い続けた。

どうしてもアクセルを踏み込めなくていると教官は
「はい。アクセル踏んで100キロ!」と言いながら
何と 私の方に身を乗り出して私の足元のアクセルを
踏んだのだ。

その後の教官の言動が面白かった。
すぐに元の場所に足を戻して姿勢を正すと、今まで
恐い顔をして座っていたのに別人になっていた。

「見た? 見た? 見たよね。確かに100キロこの車出した
よね?」と嬉しそうに言ってきた。

一瞬の出来ごとで 私には よくわからなかった。
ただ教官が満足して機嫌が良くなった事だけわかった。
私は こうして何とか卒業試験を迎えた。

3人一組で1台の車に乗ってAコースとかBコースとか
言われて走る試験だった。
ところが、これもまた困った事に方向がわからない。
第一走ったこともない気がする。

ここで私は賭けに出た。
どうせ方向がわからないのだからAコースだけ見て
地図を見て前日 協力者を得て下見とコースを
覚えた。コースが5つあって、とてもじゃないけれど
覚えられない。Aコースに当たることを祈るしかない。
ここで他のコースを指定されたら次の機会にAコース
を指定されるまで試験を受けるつもりだった。

ラッキーとしか言いようがない。
見事にAコースが当たった。無事卒業できた。
そして鮫洲に試験を受けに行って学科だけなので
これは通った。

そんな事があって、やっと取得した免許だった。
その女性教官とは教習所を終えた後もハガキの
やり取りをしていた。
そこで私は自分が操業出来た理由を知った。
何と翌年に、そこの教習所は無くなってしまうので
在校生を全員卒業させなければならなかったらしい。

特別優しい待遇を受けていると思っていた私はアホ。

さて免許を取ったら車が欲しくなる。
車を買ったら親にバレる。困ったと思っていたら
父親が重い椎間板ヘルニアで入院することになった。
さすがに入院に至るまで歩行も出来ない父は悲鳴を
上げた。これ幸いとばかり、実は車の免許を持ってる
と話すと、余程辛かったのか退院後も父の仕事の
運転手をやるという条件で車を持つことを許された。

わーい! この年にして やっと自分の車を持てる!
喜んだのは束の間だった。
住んでいる場所を考えていなかった。
車線の多い大きな通りばかりの都心の真ん中である。
いきなり六本木 赤坂 青山 渋谷と運転するはめに
なった。しかも用事で首都高に毎日乗るわけで…

方向オンチの私はまず自宅に帰るのタッチする場所を
覚えた。タクシーに煽られ、ハイヤーに煽られ、商業車に
煽られ、トラックにはライトをアップにされ…
世間は甘くないなぁと しみじみ思った。

恐い恐いの私が仕方なく、交通量の異常に多い道路を
走るなんて誰が想像しただろう。
教官が見たら卒倒したと思う。
車線の取り方がわからなくて曲がりたい処で曲がれず、
ナビを使って迷子になりの連続で毎日が過ぎて行った。

人の車に よくぶつけなかったと自分でも感心する。
恐いから ぶつけたくないからと思って運転していたら
普通に東名高速を120キープで走れるようになっていた。
坂道だと140キロくらいになるので気をつけて一番楽な
90キロで走るというパターンになった。

梅雨のこの時期 公共の乗り物が苦手で出不精だった
私が車無しでは生活が出来ないくらい毎日使っている。
以前は往診専門だった獣医にも自分の車で連れていける。
逆に、よくあんな都心を運転していて恐くないねと
同性の友達に言われたけれど、通りが広い方が恐くない。
慣れとは そういうものなのかと思う。
私は小さい車が好きだ。家の周囲は駐車スペースもない
くらい買い物に出ても車だらけだし、坂の多い街だから
なまじ大きな車や馬力が必要以上あっても意味がない。
さすがに坂が多いので多少の馬力は必要だけど、
自分の空間を作ってくれるからポンコツ車でも愛する。

ワンコを散歩させながら公園で紫陽花を見ると思い出す。
ワンコは何を言っているのか わからないだろうけれど
私が車を運転出来るようになるのに、こんなに大変
だったのよ、と話す。
紫陽花の脇を歩きながら今年みたく雨の降らない日のある
梅雨だったら、あの時もっと早く免許を取れたかな?
などと雨のせいにしてみたりする。
過ぎてしまえば思い出。ナビとは未だに相性が悪い。


2013-07-01 03:15:32投稿者 : Nachiko
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