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M1 紫の糸 ~光を~ La Lumière

M2Prisoner

M3  ホ・ン・ネ Real intention

M4 夕映え It was good die in loneliness

M5 幻華 Distractionof Ω 

 M6 体が風になるまで Return Me!

ボーナストラック:μμタンバリン(アレンジ&プログラミング:Team S)


Vo    Nachiko

Dr    :そうる透

Bass   :渡辺建

Bass   :和佐田達彦

G      :田川ヒロアキ

G   :竹内亨規

Key    :河野啓三

Key    :河本慎一

Vi    :武藤祐生

和太鼓 :響道宴


Mix :岡野高史

All Music&lyrics:舘岡奈智子

All Produce&arr.:そうる透

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La Lumière 

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佐久間正英氏 R.I.P

今日はツラツラと書きたい気分なので…
私がピンクフロイドと出会ったのは
中学生で入院先で知り合った友達から
教えてもらったのが最初だった。

EL&P キング・クリムゾンと続いて
いくのだが当時の私にとって退屈な
入院生活での音楽は物凄く
存在が大きかった。

クラシック教育しか受けていない
私には劇的な事だった。

そこを突破口にプログレの世界に
ドップリ浸かり今までの
音楽概念が変わってしまった。

1975年8月7日(木)に
東京は後楽園球場で
「ワールド・ロック・フェスティバル
イーストランド」があった。

これは内田裕也氏が音頭を取り、
国内外のロック・ミュージシャンを
一同に集め、公平に紹介することを
第一義に掲げた当時としては、
画期的なコンサートだった。

このようなコンサートは、その前の
年に開催され今でも伝説になって
語り草になっている
福島県郡山での
「ワンステップ・フェスティバル」
を、さらに大規模化して、
海外からも有名アーティストを
何組か呼び、札幌 名古屋 京都
仙台 東京と回り、その都度
いくつかの日本人アーティストを
変えていくというものだった。

当時の記録を見ると

1975年8月7日 曇りのち晴れ
開演 午後1時55分

アメリカン・バトンガールズに
よるセレモニー

1 イエロー(午後2時25分から
40分間演奏)

2 ジェフ・ベック・グループ
(3時45分から50分間演奏
この日のジェフは風邪)

3 カルメン・マキ&OZ
 (4時50分から40分間演奏)

4 クリエーション(5時45分から
30分間演奏 PAの調子悪し)

5 四人囃子(6時50分から30分間演奏)
6 ニューヨーク・ドールズ
(7時45分から40分間演奏)

7 フェリックス・パッパラルディ・
ウイズ・ジョーの演奏

その後、内田裕也氏の挨拶をはさみ、
1815ロックンロールバンドが加わり、
8時40分から9時45分まで演奏
閉会宣言 午後9時50分
と記録が残っている。

私は当時 親に隠れてラジオで
聴いて一人自分の部屋で
大興奮していた。

四人囃子の『一触即発』を
まさか野外でやると思わなかったし、
カルメン・マキさん達をはじめ
日本のロックの凄さに
胸が熱くなったのだった。

私はピンクフロイドが教科書みたいな
オープニングのサウンド思考を
持っていたので、
言うまでもなく当時 四人囃子は
別格の存在としてあった。

まさか自分が音楽の道に入るなど
とは想像もしていなかったので、
毎日キースの真似をしたり、
今思い出しても恥ずかしくて
可愛いくらいに夢中だった。

私は自分が口ずさむ歌を
知らなかったので作るしかなかった。

時は過ぎ、私の作詞作曲で
エピックSONYからアルバムを出す
ことになった時、
周囲のスタッフは私の異常な
プログレ好きや諸々の趣味を
知っていたのだと拝察する。

しかし、何よりもまだ
私がプロになるかどうかの時に
佐久間氏を紹介されたのだった。

それは私の弾いた曲のデモテープを
頼むためだった。
場所は六本木だった。

途中 何かで他の人から佐久間氏に
用事の話があって、自分の
銀行口座の振込ナンバーを
スラスラ言ったのが、とても
印象的だった。

とにかくインパクトがあった。

それは私の中で、
あの「ワールド・ロック・フェスティバル」
でのステージが咽喉に刺さった魚の
骨のように引っ掛かっていたから
だと思う。

行きたくても、行かせてもらえない。
隠れてラジオで聴いた無念さ。

佐久間氏はシンプルにキーボードで
音源を作ってくれた。

そこから私の音楽への道が
始まるなんて知らなかった。

そこで佐久間氏との接点はなくなる。
しかし10代の私が創った曲が
スタジオでデモテープを録るように
なるなんて想定外だったので、
あのデモテープの存在は
大きいと思っている。

それからデビューが決まって、
初めて会ったミュージシャンは
元安全バンドの中村哲氏だった。

私は、こんな感じ あんな感じとか
説明してサンプルの音源を渡した。
ここでも実は密かに感動していた。

中村哲氏がアレンジ&プロデュース
してくれると知った時は
当時の私にはサウンドを理解して
もらうのに適任だったし、
活動も凄いなぁと思っていたので
より自分の思った世界に近づける
作品に仕上がる予感がしていた。

私は他の参加メンバーを
聞かされていなかった。

注文の多い私は、ひたすら
自分のやりたい世界を述べていた。

リズム録りで合宿になって、
マネージャーと行ったら
スタジオの中に何と四人囃子の
森園氏がギターを首から下げて
ニコニコしていた。

正直言って本当に驚いた。

譜面より、歌詞カードを先に
見せてと言われて そこに
集まっていたミュージシャン達に
私は感謝しかなかった。

こうしてワガママな私に
付き合ってくれた素晴らしい
ミュージシャン達は私の世界を
とても理解してくれていた。

そのアルバム3枚が再販される
ことになり私は理由は どうあれ
再販に至った経緯を考えると
「正義は勝つ」としか思えない。

言葉に出来ないほど、リスナーの
方達のパワーと優しさを
感じて こんな世の中だけれど
本当に捨てたもんじゃないと、
ひたすら感謝しかないと
涙が溢れた。

時は流れ、私が帰還して
また戻ってきた時、
佐久間氏に「あの時はデモテープ
作って頂きましたね」
とメールをしたら
「そんな事もあったっけ」
と忙しい中 返事がきた。

Facebookが今はあって
お互いの状況がわかるって、
便利だなぁと思ったものだった。

半面Facebookの怖さを知った
けれど、Facebookは
使い方で、どうにでもなる
ある意味諸刃の刃だと思った。

Facebookのおかげで
連絡が取れないからと病気を
発見された人や、召された人の
ことを知って何とも言えない
気持ちになった。

私の大好きな四人囃子の
『一触即発』には佐久間氏は
加入していないが、
その後の活躍振りで本当に
バンドを育てたりプロデュース
する才能の宝庫だったのだろう。

物凄く懐かしくて、
まだ自分が この先どうなるのか
わからなかった時に出会った人
なだけに言葉が出ない。

私がデビューしてから色々な人と会った。
内田裕也氏も女性には紳士的で、
とても美しい瞳をしている人だったし、
実際に会ってみて感じることは多かった。

ついこの間、ドラムの青山純氏が
召されて私は自分の音源から
悲しい思いで聴いていた。

ここのところバタバタと召されて
居過ぎる。
鬱になると言っているミュージシャン
もいる。悲しみが大きいから。

まだ若かったのに駆け抜けて行った
ミュージシャンはたくさんいるけれど、
私のFacebookから これで何人の
人が召されたのに名前を消せずに
いるのだろう。

ミュージシャンに限らず、とにかく
身体を大切にして下さいとしか
言えない。

いつか来る別れを知っていても、
人間は そう簡単に何度も
受け止めるには時間がかかる。

私の一番近いスタッフは、
四人囃子を初めて杉並公会堂に
立たせるために動いた仲間の中の
一人だ。

多分 『一触即発』をこの上なく愛し、
生き残ったわずかな詳しく色々な事
を知る、しかも彼等と長い時間
一緒に過ごした人だと思う。

しかし、世の中って おかしな物で
ろくに知らなくて後から関わったのに
四人囃子のスタッフ、関係者という
人が結構いる。

それが悪いとは思わないけれど、
もしあの時、ラジオであんなに
「ワールド・ロック・フェスティバル」
に感動しなかったら、佐久間氏と
会った時の印象も違っていただろう。

今また新たに船出し、また素晴らしい
仲間に囲まれて私は幸せだと思う。

昨年新譜を出せたのも、その新譜の
評判が良いのも この年月を糧として
生きて来た人生が無駄でなかった
証拠になる。

新たな船出は、そうる透氏
プロデュースでだが本当に
今までとは違ったリズム体だけでなく
面白い感性を持っていて、
作品を こねくり回すのに愉しい。

私の願いは ただ一つ。
とにかく健康でいて欲しい。
一緒に演奏も出来なくなる。

悲しいニュースのあとは、
必ず皆の健康を祈る。

佐久間さん、ありがとう。

私のFacebookには、その話が
ガンガン上がっているけれど
私はサヨナラしたと思っていない。

過去も現在も未来もない時空の
中で、音楽をやっていると思う。

この頃 もう一度 死生観を
キチンと見直してみようと思っている。
佐久間正英氏 R.I.P

2014-01-21 18:52:57投稿者 : Nachiko
この記事のURL コメント(4) トラックバック(0) nice!  あしあと
    4件中   1 - 4 件表示 ( 全 1ページ )
    コメント一覧
    瑞恵さんへありがとうございます。健康は大切ですね。私が生きている間に、あとどれくらい作品を遺せるでしょうか。時々考えます。
    サイト管理者 Nachiko   2014-01-22 21:21:28
    馬鹿道マッシグラさんここのところ召される方がバタバタと続いており、何ともいえない気持ちです。身体の調子の悪い人も多いですから、よけいに心配です。健康は自己管理でもありますが、仕方ない場合もあります。それぞれの人生だと思っています。
    サイト管理者 Nachiko   2014-01-22 21:19:07
    guest
    お世話になった、特に出会う前からの憧れだった方への想いは強いでしょう。
    その恩返しはこれからNachikoさんが良い作品を生み出す事だと思う。
    彼らの影響を多少なりとも受けているならなおの事。
    私のようにマッシグラにつき走って下さい。
    お身体だけはくれぐれも大切に!
    投稿者 馬鹿道マッシグラ   2014-01-21 20:10:00
    guest
    そういう奈智子さんこそ、お体を大切になさって下さい!
    お元気でないと良い作品は生まれません!私たちはNachikoの独特でオリジナリティーに富んだNachikoワールドを期待しているのですから。
    過去にお世話になった方への思いは分かります。感謝の気持ちも大切です。そしてご自身の身体を大切に!
    投稿者 瑞恵   2014-01-21 20:05:50
    4件中   1 - 4 件表示 ( 全 1ページ )