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Vo    Nachiko

Dr    :そうる透

Bass   :渡辺建

Bass   :和佐田達彦

G      :田川ヒロアキ

G   :竹内亨規

Key    :河野啓三

Key    :河本慎一

Vi    :武藤祐生

和太鼓 :響道宴


Mix :岡野高史

All Music&lyrics:舘岡奈智子

All Produce&arr.:そうる透

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猫7️⃣

今日も作品に登場する猫について述べる。
宮沢賢治の作品を河合隼雄が取り上げて
いるので いつものように抜粋しながら
話を進めていこう。

河合隼雄は賢治の作品の中で猫が登場する
四作を取り上げて論じている。
その前に面白いエピソードを紹介している。

………………
私の勤務している国際日本文化研究センター
の隣に、桂坂小学校がある。今から二年ほど
前、その学校の村田喬子校長先生のアイデアに
乗って、梅原猛さんをはじめセンターの教授
たちが、そこに授業に行くことになった
(これは現在も続いていている。)

その時、当時の教授の一人、山折哲雄さんは
小学交六年生に対して、宮沢賢治についての
授業をした。何しろ、山折さんは賢治に対する
思い入れは深く、勢い熱のこもった授業になった。
(河合隼雄・梅原猛編著『小学生に授業』
〈小学館文庫〉に山折さんの授業記録も
収録されている)

山折さんは賢治の三つの作品「風の又三郎」
「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」を
示し、これらには「共通する問題が出てくる
んです。何だと思う?」と子どもたちに
問いかける。そして、「それはね、風が
ものすごく大きな役割を果たしているという
こと。この三つの童話の中心的な大問題は
『風』だということです。」
と自ら答え、ひとつひとつの作品を取り上げつつ、
賢治の作品のなかの「風」の重要性を明らかに
していく。

実に賢治の本質をついた授業である。
〜略
このエピソードを聞いて、今度は私が「あれっ」
と思った。というのは、私は宮沢賢治の作品に
おける猫のことをずっと考えていたからで
ある。

それをどんなふうに表現すればいいかなと
思っているとき、「猫と風」というヒントが
舞い込んだように思ったのである。
この両者はあんがい似ているようだ。

この文を書くについて、宮沢賢治の作品、
特に猫が関連するものを読んでいるうちに、
佐藤栄二「宮沢賢治童話集『風と山猫』
(WIND AND WILDCAT PLACES)
について」という人による宮沢賢治の作品
の英訳本(講談社インターナショナル刊)
について論じているのだが、その作品集
にジュン・ベスター氏がこのような題名を
付したのは、猫と風とが、宮沢賢治の作品
の特徴を伝えるのに、ぴったりと感じた
ためと思われる。

猫は第一章に記したように実に多様な
意味を持っている。
しかし、賢治の作品に登場する猫たちの
特性を一言で表現すると、風との類似性
というのがいいのではなかろうか。
私は子どもの直感力の鋭さに感心して
しまった。

賢治の猫についてあれこれ考えているときに、
校長先生から前記のエピソードを
お聞きして、猫のイメージと風のイメージが、
私の心の中で重なるのを感じたのである。
普通だと、猫と風はまったく別種と感じられる
かもしれない。

違うと言えば全く違ったものである、
しかし、風のつかまえどころのなさ、
いったいどこから来てどこへ行くのか
わからない。

優しくもあれば荒々しくもある、少しの
隙間からでも入りこんでくる、などという
性質は、猫にもそのまま当てはまる事だし、
賢治の作品の猫たちは、まさにそのような
性格を持って登場しているように思うので
ある。

ところで、賢治には「猫」という短篇というか
ノートのような作品がある。
「(四月の夜、とし老った猫が)
友達のうちのあまり明るくない電燈の向ふに
その年老った猫がしづかに顔を出した。」
という書き出しで、その猫の描写の中に、
「(私は猫は大嫌ひです。猫のからだの中を
考へると吐き出しさうになります。)」
という感想のようなことが書かれ、最後も、
「(どう考へても私は猫は厭ですよ。)」
と結ばれている。

どうも、賢治は現実には猫は好きでなかった
ようだ。

ところが、作品のなかの猫は、そんな感じを
まったく反映していないので、やはり、
作品のなかの猫は、風のように彼の心の
世界に。さっさと登場してきたものとして
見るのがよさそうである。

では『セロ弾きのゴーシュ』を取り上げてみよう。
不器用な者はいじめの対象になりやすい。
ゴーシュも楽長に徹底的にいじめられる。

どうしてもゴーシュの音だけが皆と合わないと
楽長は言い、「いつでもきみだけとけた靴の
紐を引きずってみんなのあとをついてあるく
ようなんだ」と皮肉を言う。

「ゴーシュはその祖末な箱みたいなセロを
抱えて壁の方へ向いて口を曲げてぼろぼろ
泪をこぼし」ている。
こんなゴーシュが皆とうまく合奏したのみ
ならず、アンコールに独奏をして大成功をする。
どうしてこんなことが起きたのか。
この奇跡の始まりが「猫」なのだ。

ゴーシュがセロの猛練習しているとき、
猫がまさに風のようにやってきた。
ゴーシュが死にもの狂いでセロを弾いている
時、「すうと扉を押してはいって来たのは
いままで五六ぺん見たことのある大きな
三毛猫でした。」

猫はゴーシュの畑から半分熟したトマトを
とってきて、おみやげですと差し出す。
ところがゴーシュはひるからのむしゃ
くしゃを一挙に爆発させ、猫に向かって怒鳴り
つける。ところが猫は大したもので、
「口のあたりでにやにやわらって」
「先生、そうお怒りになっちゃ、おからだに
さわります。それにシューマンのトロイメライ
を弾いてごらんなさい。きいてあげますから。」
という。

これを聞いてゴーシュは「生意気だ」と大いに
怒り、「まっ赤になってひるま楽長のしたように
足ぶみしてどなりどなりました」が、ともかく
セロを弾くことにする。猫は「トロイメライ、
ロマチックシューマン作曲。」
など所望するのだがゴーシュは何と扉に鍵を
かけ窓もしめ切り、自分は耳に栓をして
「印度の虎狩」を嵐のような勢いで弾き始める。

ここは風が嵐になったという感じである。
猫はあわててしまって、逃げ出そうとするが
扉も窓も開かない。
「ご生ですからやめて下さい」と猫は頼むが、
ゴーシュはやめない。
しまいには「猫はまるで風車のように
ぐるぐるぐるぐるゴーシュをまわりました。」
とうとうゴーシュがやめると、猫はけろりとして
「先生、こんやの演奏はどうかしてますね」
という。

猫は知ってか知らずか、風のように来て、
そして部屋のなかでは嵐のように荒れ狂い、
そして、さっさと去って行ってしまった。
かくてゴーシュは楽長のいじめから立ち直り
せいせいして心安らかに眠ることが
できたのである。


「猫の事務所」という話には人間は登場しない。
すべて猫の物語である。
「夜かまどの中に入ってねむる癖があるために、
いつでもからだが煤できたなく、殊に鼻と耳には
まっくろにすみがついて、何だか狸のような
猫のことをいうのです。」と四番書記竃猫を、
そう書いている。

つまり、これは猫の中の不器用(ゴーシュ)
なのだ。当然いじめにあう。
ところが突然、「みなさん ぼくは かま猫に
同情します」という作者の言葉が入る。
猫達の記述の中に急に人間の作者が、
その生の感想を語るのである。

この作品が「僕は半分獅子に同感です」という
言葉で終わる事を見ると、実に重要な
ポイントであることかがわかる。

「どんぐりと裁判」は、おかしなハガキが
一郎の処に舞い込んでくるところから始まる。
山猫から手紙をもらった一郎は、早速訪ねていく
ことにする。

明らかに山猫の世界、非日常の世界に入っていく。
「風がどうどうと吹いてきて」山猫が登場する。
やっぱり猫は風と密接に結びついている。

猫は一郎に対して面倒な争いで裁判に困って
いるので、考えを聞かせて欲しいと言う。
そこで山猫と一郎の非日常と日常の話は進み、
一郎の非日常的知恵によって、どんぐり達は
おさまる。
(そこに、まだ話はあるのだが宮沢賢治の世界に
おいての猫は、他の作品に出てくる猫と違って
別の次元への誘導する案内人であり、
人の心を揺さぶる存在として独特な物を感じる。
それは風という物が常に感じれる根底故、
さらに非日常的というビジュアル的にも
想像を膨らませられる世界観を創って
いるのではないかと思う)

「注文の多い料理店」は二人の都会人が大変な
山奥に入り込んでしまう。
「風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、
木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと
鳴りました。」

この風と共に、世界はもう一段と深化され、
そこに「注文の多い料理店」が顕現してくる。
最後に絶対絶命の時、死んだと思っていた
あの白熊のような犬が飛び込んできて、
紳士達は九死に一生を得る。

先に紹介した山折哲雄さんの授業では、
「風が吹いて物語が始まって、風が吹いて
物語がさっと終わるんです。」と語っている。
大切な指摘である。

ひょっとして、これは風が一吹きする間の
一瞬の物語だったのかもしれない。
風に乗って、恐ろしい猫がさっと現われ、
さっと消えていったのかも知れない。

現代人の忘れ勝ちな「あちらの世界」から
賢治はものを見ることができた。
あちらの世界からのメッセンジャーとして、
風と猫は賢治にとって非常に大切なもので
あったようだ。
…………………………

猫を好きで作品に出す作家と猫嫌いの賢治の
ような作家の猫の使い方の違いは、
なかなか、そういう観点からみると
違った見方が出来て楽しめる。

私の猫嫌いが、猫に囲まれて暮らすのと
変わりがないような気もする。

猫は入り込んでくるのだ。犬は、こちらから
追っていかなければ…という感覚がある。
しかし猫は知らず知らず入り込んでいる。

まぁ、なんとも不思議で、ほんわかした
生き物かと、振り回されながら暮らして
いるのだ。犬達さえ、きっと
同じに思っているのではないだろうか?
次回は、いよいよ「怪猫」に触れていく。

2014-01-09 22:35:36投稿者 : Nachiko
この記事のURL コメント(2) トラックバック(0) nice!  あしあと
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    コメント一覧
    瑞恵さん
    宮沢賢治というと、やはり「風」ですよね。そこに猫を探すとは大変な作業だと思うのですが、賢治の場合は宗教観が大きいので猫に対しても出ている気がするのです。私の受け取り方ですけど。
    サイト管理者 Nachiko   2014-01-10 21:55:17
    guest
    宮沢賢治
    この人の存在がすでに風ですね・・・私にとって。賢治が風だから自分に似た「猫」が好きではなかったのかもしれませんね?
    私も風になりたい。猫になりたいのかもしれません。この時刻、私の脳みそは働いていません。ボーッと猫の気ままさの様にiPadに向かっている無気力な猫になっています。
    投稿者 瑞恵   2014-01-10 04:05:27
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