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Dr    :そうる透

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Bass   :和佐田達彦

G      :田川ヒロアキ

G   :竹内亨規

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Key    :河本慎一

Vi    :武藤祐生

和太鼓 :響道宴


Mix :岡野高史

All Music&lyrics:舘岡奈智子

All Produce&arr.:そうる透

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La Lumière 

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中村哲・森園勝敏、あの頃…(再販で思い出して)

私は何気なく暮らしていて、
ふと目の前にあるコップを見て
色々頭の中がグルグルと考え込む
原因になったことがある。

今見ているコップは本当に そこに
在るのか、時間は目に見えなくても
流れていくけれど
それって、どういう事なのだろう?

と思ったら目に見えている物と
目に見えていない物との合わさった
部分で私達は、それらを当たり前に
気にも止めないで生活しているのでは
ないだろうか?と思ったのだ。

たまたまC.カレンダー
(カリフォルニア大学サンディエゴ校)
が、『時間の矢に関する説明』で
私達が日常的に感じる「時間」は、
現代物理学には存在しない。

物理の数式は「現在地」のない地図の
ようなもので、あなたがいるのが
どこかは教えてくれない。

アインシュタインの相対性理論に
よれば、そもそも唯一かつ絶対的な
「現在」というものはない。
過去から未来にいたる
あらゆる瞬間は、等しく実在している。
と書いてあって、

ニュートンは唯一絶対の時計があると
考えていて、世界はこの時計を共有して
おり、誰にとっても1分は1分。
何が先に起き、何が後に起きたかも
同じという前提に立っていた。
とあった。

だが物理学が発展するにつれ、
こうした前提はことごとく
覆された。相対性理論によれば、物事
の後先はしばしば確定せず、経過時間は
重力によって変化する。

時間というものは観測者によって
変わるもので、唯一絶対の時計と
いうものはなくなってしまった。
ところが、現代物理学のもう一つの
雄である量子力学では
「時間」のとらえ方が相対性理論とは
全く異なる。

量子力学における時間というのは、
議論はあるものの、基本的には
ニュートンの時間に先祖返り
している。

相対性理論と量子力学の統合は
物理学の悲願だが、時間の
とらえかたにこうも
大きな差があっては難しい。

解決の道筋を探るため、ループ
量子学理論など様々な理論が
模索されているが、
決定打はまだない。
相対性理論に軸足を置く限り、
時間というのは単に、異なる
物理系に起きる出来事の相関を
記述するための発明品にすぎない。
それはちょうど、お金のような
ものだ。

お金があるおかげで、私たち
コーヒー1杯を購うたびに何と
物々交換するするかを話し
合わなくて済む。
だが別にお金自体に価値がある
わけでは無い。

同様に、時間があるおかげで
私の白髪が増えるという現象
を記述できる。

だからといって、時間というものが
自然に本質的に備わっているわけでは
ない。

では、何故この世界に、時間というものが
存在しているように見えるのだろう?
そのヒントは80年前に英国で行なわれた
1つの実験にある。

この実験によると、時間が存在しない
静的な世界においても、その一部分で
起きている出来事の関係性を記述すると
それはあたかも時間が存在するかの
ような振る舞いを示す。

私たちが日常的に時間を感じるのは、
私たちが自分自身を世界から切り離して、
物事を見ているせいなのだ。

と、内容的には こんな感じの事が
書いてあったのだが、私は
「う〜ん」となってしまった。

言わんとしていることは何となく
フムフムなのだが、ここで
引っ掛かるのは「時間」が
相対性理論では重力で異なるという
点、量子力学がニュートンに返って
いっているという点。

あと「静的な世界において…」の
くだり。
そして何度も出てくる「存在する」
の「存在」という言葉。

これはあくまでも研究されている事
である。
しかも「時間」という目に見えない
世界に関してだ。

私は観念的に捉えていた部分があった
ので、斬新な気もしたが「?」
がついてしまった。

諸説という捉え方をしても、興味深い
部分もあるわけで、これを
現実的とは思われないかと思うが、
私は この世を三次元とすると
何次元とも言いがたい

天国とか地獄とか煉獄とか、
アストラル界とか言われている
処の重力は、どうなっている
のだろうと考えてしまった。

重力で時間が変わってしまう
とは、かなり面白い。

地獄の存在を信じている方では
ないが、描かれた絵画や文学の
地獄は思いをはせるのに、
よい材料になる。

この部分が私の作品に 使われる
「地獄に重力は どのように働くのか。
時間は どのように流れるのか。」
という疑問になり、
芥川龍之介が描いた地獄の蜘蛛の糸が
切れたのは地獄の重力が かなり違う事
を示しているのではないか?
から始まって、人々の罪やエゴなどより
物理的問題も大きいのではないか?
と勝手に想像が膨らむのだった。

そこまで重力が大きくものをいって
時間の変化まで影響するなら、
エゴというものを強く持った
人間は重力のせいで動けない
こともありえるのではないか?
これは、そのまま歌詞にした。

静的世界とは何を指すのか。
これは、ますます私の想像は膨らむ。
そして、何より「存在」とは
何なのか。

コップが、そこに存在する。
私はコップを見ながら考え始めたのだ。
コップの水が蒸発していく。

それは「時間」があって過ぎていくから。
そして私は、それを眺めていたわけだ。

「時間が存在するか」だけで、
これだけ「存在」の意味を考え
させられると、「存在と時間」を
書いたハイデガーの本からの
引用をすると、難解なんだけれど、
時間と存在は密接に関わっていて、
我々の人生は本来の存在になって
いく過程だという。

つまりハイデガーにとっての
「存在」とは、常に未来に向けて
期待し希望をしながら未来を
形作っていくことだという。

これは私には「何?何?」になって
しまうので、大好きな
松岡正剛氏の登場で、私は
安心することになる。

松岡正剛との出会いは
ファースト・アルバム制作の
前に戻る。

当時雑誌『遊』というのが出ていた。
書店に行って、この雑誌と
『二十一世紀精神』という雑誌を
見つけるのが楽しみだった。

ここで松岡正剛と文章を通して
出会うのである。
この雑誌では記憶と記憶の間の
話や、無の話など わかりやすく
楽しく書いてあった。

たまらなく惹かれる世界だった。
コップ1個を眺めているだけで、
ハイデガーの本だとコップに
希望など意思はないだろうから
「存在」していないことに
なるのではないか。

むしろ 存在しているのは私だけで
コップは実際は錯覚なのかもしれない。
物理学の世界と哲学の世界での
大きな差が、ここに出てくる。
今では宇宙を巨大なホログラムだと
まで主張する学者がいる世の中だ。

私がコップ1個で一晩でも
盛り上がれるような時を経た頃、
まさにファースト・アルバムを
制作で中村哲・森園勝敏…といった
人達と出会ったのだった。
偶然だったのか、ブームだった
のか 未だにわからない。

だけれど、彼等も
『遊』や『二十一世紀精神』を
読んでいてレコーディングの
合間に話していて私は
すぐに馴染み、一緒にいて楽しかった。

とても通じるものがあった。

松岡正剛は今思うと、私の小さな
疑問をキチンと捉えて文章にして
自由で深い知識と、わかりやすい
文体と斬新な切り口で綴ってくれる
大切な存在となった。

その感性も たまらないものがあった。

松岡正剛のおかげで私は
初めて会ったはずなのに
自然体で創っていけたのだと
思っている。

詩の一つ、一つを大切に考えて
くれた。譜面より先に詩を
見せて言われたのは、
初めてだった。

多分 彼等もコップ1個で一晩中
盛り上がって語れるような
人達でなければ、あのアルバムは
存在しなかっただろう。

今年もあと1日。
今年は本当に感慨深い年になった。
あの頃の会話や、やり取りが、
昨日の事のように浮かぶ。

リズム録りなのに、当時は全員
一緒で合宿していたので、
一日中10時間近く私は
歌っていたし。

あの頃は全員20代で多感だった
のだと思うが、
帰還して感じるのは
テクニックとかは、さらに
進歩していても 多感なことは
変わらないのではないかと
思う。

私にとって本の世界から
音楽の世界に移行した最初が
CM業界だったので、
音楽の世界という意味では
本当に同じ接点を持って、
合宿しながら制作したことで
私には とても居心地の良い
スタートを切れたのだった。

だから当時知り合った
ミュージシャンの人達は
私には思い出でも、
キラキラした思い出を
放っている。

明日は、その松岡正剛が
このままではハイデガーの
話が救いようがなくなって
しまうので、解説してくれて
いる章から書いていこうと
思う。


2013-12-30 08:04:30投稿者 : Nachiko
この記事のURL コメント(2) トラックバック(0) nice!  あしあと
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    コメント一覧
    瑞恵さん
    存在論の話 実は とても難解なんです。でも そこにロマンを見つけようとする自分がいます。
    サイト管理者 Nachiko   2013-12-31 09:49:19
    guest
    難しいです!このコップを手に取った時の手の感触はそのコップの存在を証言できるような気がします。
    娘のテーブルの上のオブジェ化したテーブルから離れないグラスは「時間」を経てそういう事になってしまったのだし。
    投稿者 瑞恵   2013-12-30 23:46:38
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