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Vo    Nachiko

Dr    :そうる透

Bass   :渡辺建

Bass   :和佐田達彦

G      :田川ヒロアキ

G   :竹内亨規

Key    :河野啓三

Key    :河本慎一

Vi    :武藤祐生

和太鼓 :響道宴


Mix :岡野高史

All Music&lyrics:舘岡奈智子

All Produce&arr.:そうる透

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La Lumière 

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心を楽にするには…1⃣

今日はチラリと私の思考について。
長いこと犬猫と暮らしていると
気づかされる事が幾つもあると
書いたことがある。

その中で私が気づいたというより、
教えられたと思う彼等の在り方に
ついて そこから一つ至った私の
物の捉え方を書こうと思う。

いつも記しているように我が家の
犬猫は何らかの事情で保護された子
が多かった。

勿論 大きなハンディーキャップを
抱えている子達もいた。

人間から見ると「可哀想に」
と思えるのだが、それは
大きなお世話で彼等は関係なく
マイペースで生きている。

それどころか いつの間にか
動物家族を形成しお互いを
思いやって時に結託し、
喧嘩したり何事もなかった
ように楽しく遊んでいたりする。

これは最初 そんなに気を
止めていなかったが、
実は大きな秘訣が そこにあるのでは
ないだろうか?と
思い始めた。

たとえば人間に置き換えると、
人間なら くだらない事で
スケープゴートを作りあげて
誰もが何かしらのコンプレックスを
持たされ、心理学でいうところの
学術的コンプレックスとは
ほど遠い個人差の大きい後天的な
肉視的でもあるコンプレックスを
植え付けさせられる結果になる。
これは一体何でなのだろうと思う。

同一ならスケープゴートの標的に
ならないが、少しでも個性があったり、
人と違っていると そこから問題が
生じる。

そのクセ 「自分は個性的でありたい」
などと思い気づけば似たことが
書いてあるファッション誌の
影響なのか一山幾らの同じファッションで
街中溢れてしまい個性どころか、
個別化するのも難しくなっている。

私は その現象を非難するのではない。
非難するとしたら、根底に潜んでいる
「比較」の思考だ。

動物の本能で優位に立ちたいのは
理解できる。

しかし 私はウチの動物達を見て
何故仲良く平和なのか、
自分が人から相談される悩みを
持ったことがないのかを考察した
ことがある。

行き当たるのは「比較の思考」なのだ。
ウチの犬猫を見ていて常に
感じるのは、ありのままの自分を
受け入れていることだ。

たとえ片目を失っていた子も、
下顎が極端に小さい奇形であろうと、
全く関係ない。

人間の言葉を話せないので
彼等が何を感じているのかは
わからないが、何もそんなことは
周囲に感じさせないほど明るい。
卑屈になっていない。

動物と人間の価値観の相違なのかも
しれないが、少なくても
彼等は比較をしていないのが
伝わってくる。

嫉妬といっても誰がオヤツを
先に貰っただの、抱っこされただの
いうことを不満気に訴えるが、
それはすぐに解決する。

その場で解決してしまう。
もし人間が、いつも他人と自分を
比較し続けていたら決して満足も
幸せも感じないのではないだろうか?

もし幸せを感じているなら、その時は
比較思考が休止している時なのでは
ないだろうか?

自慢ではないが私は人を羨ましいと
思ったことがない。
口では「あら、羨ましいわねぇ」などと
言ったりするが軽い言葉であって
心底羨ましいと思ったことはない。

他人から相談されると そこに
必ずと言っていいほど比較思考が
含まれているといって良い。

とても残酷な事を書いているようだが、
私はこの世の中だけが全てだと
思っていない。

たまたま今の この次元では この姿で
この役目で生を受けたけれど、
違う次元では別の人生を送っているに
違いないと確信しているからだ。

私のような多次元を信じる者は、
ある意味楽な思考回路を持っている
のかもしれない。

この世は苦しみと悲しみに満ちている。
夜があり昼がある。

雨が降り風が吹き雪も降る。
壮絶な環境も贅沢の極地の環境もある。

こんな不公平な世界は、この世だけ
見たらあり得ないと思う。

飢餓で苦しむ人、もしくは餓死。
孤独で死に至る人、大きな病を
生まれながら持っている人…
かと思えば健康で風邪一つひかない人。

両親揃っていて不自由なく温かく
育つ人、親の愛を知らない人…
私は ニュースを見ると発狂しそうになる。
我が身を振り返ってみたりもする。

どんな事があっても自分を
否定したり卑下したりしては
いけない。

それは、その時点で比較思考のドツボに
ハマっている証拠だからだ。
とりあえず与えられた自分自身を
受け入れる。

犬猫が普通に行なっている行為だ。
比較思考を棄ててみる。


「私」は「私」。「あなた」は「あなた」。
この姿勢は非常に心を楽にする。


たまたま私は犬猫達や、どうして人は
あんなに色々な悩みを抱えるのだろうと
思ったところから考え出した事だが、
たったこの「比較思考をやめる」
だけで大きな変化が生じる。

まず物欲があっても買う物が
変わってくる。

流行に支配されることもなく、
誰々より良いものを持ちたいなどと
いう考えがなくなる。
本当に必要な物は何なのか。
流行っているから欲しいのではなく、
自分に似合うから欲しいに変わる。

自己評価が変わる。
これは簡単に一言では語り尽くせない
ほど大きな大きな変化をもたらす。

格差社会と言われるようになって、
その格差は開くばかりだ。
仕事にしても就職難民が増え、
自殺に至る。

自分で自分を認めることなど、
もはやできなくて当たり前の
時代を私達は泳いでいるのだ。

何をもって成功といえるのか。
何をもって偉いといえるのか。
何をもって価値ある人間といえるのか。

その辺が うやむやに
なってはいやしないだろうか。

終身雇用制度が崩壊してから、皆
知っている。
この世の中に安定など一握りだと。

その安定さえ今や脅かされている。
私達の身体がメンタルと大きく
関係しているのは周知の事実である。

体調を崩して病院に行けば、
医者は仕事だから その崩した体調
だけをみて診断し、薬を処方する。

はたして それで解決するのだろうか?
ここで大切なのは心のクセを知る
ことではないだろうか。
放置しておけば人間はネガティヴな
事を延々と語れる生き物なのだ。

おまけに自己否定と自己卑下が
得意である。
その反対に大ほら吹きもいる。
俗にいうビックマウスも
その部類かと思う人もいるかと
思うが、これはまた意味合いが
違う場合が多い。
公に宣言し自分を追い込む手法も
あるので、ビッグマウス=大ほら吹き
とは意を異なる。

根拠のない自信や、やたらと見栄を
張るのは自分に自信がない証拠
もしくは極端な小心者である場合が多い。

まずは自分にストップをかけるのだ。
ネガティヴな言葉は生産性がない。
さらにネガティヴな事を呼び込む。

自然体が一番良い。
犬猫がそれを見せてくれている。
もし各々が自分は自分と思って、

萎縮せずありのままの自分を
受け入れたら、そこからすでに
変化が始まっている。

よく下を見たらキリがないし、
上を見てもキリがないと言われている。
そういう意味ではない。

自分は世の中にたった一人の
貴重な存在なのだ。

自慢ではないが、私などコンビニを
何件も応募して落とされている。
最終的には外国人のオーナー店長に
「アンタなんて雇う所あるんかね」
と言われたことがある。
その時は さすがに凹んだ。

何でも体験したいので色々応募したが、
私を雇う所って、ほとんどなかった。

私って雇う価値ないですか?
それほど酷いですか?

そうは思っても、ある方面では
キチンと通用して上品にホテルで
食事していた自分がいた。
頭痛していたけれど、私が追従というか
無理しても紛れ込めた世界もあった。

人の価値が、いかにいい加減で
デタラメなのかが良くわかる。
思い込みは良くない。

自分を自分で決めつけるのは、
もっと良くない。

モンスターペアレンツもいるので
一概に言えないが、親がそっと
見守っている場合もある。

しかし当事者には気づかない。
本当は楽になる方法は幾らでもあるのだ。

How to本が山のように出ている。
やれアロマが良い、何がよいとか
様々な情報が入ってくる。

しかし、そこで思考の休止を勧めて
いるだろうか?

いくら素晴らしいアロマオイルの香りを
嗅いでネガティヴな会話を延々としたり、
自己否定を繰り返したり、
自己再構築の邪魔になる行為ばかり
していたら何もならない。

とにかく手放すことだ。
くだらない先入観・価値観・評価
思い込み・そして大切なのは
比較の思考を棄てることだ。

まずは、自分ありき。
そこに立っている自分が居る。
受け入れる。そこから次の段階に行こう。

2013-12-19 07:37:52投稿者 : Nachiko
この記事のURL コメント(2) トラックバック(0) nice!  あしあと
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    コメント一覧
    瑞恵さん
    悲しいかな、人間は そこに並んでいるだけで、無意識に「比較」しているそうです。無意識の世界が現実化すると、どこからともなく やってくる不安や情緒不安定や衝動に繋がると解釈しています。この無意識の部分はクセ物だと思っています。せめて意識的に比較の心は棄てると良いと思っています。
    サイト管理者 Nachiko   2013-12-20 07:55:34
    guest
    比較の気持ちは持っていないけれど辛い。その辛さだって人それぞれでしょう?話しても無駄なだけ。
    今、私は民生委員の方に相談することにしている。そこで何をどこまで介入してくれるのか?不安でいっぱいです。
    投稿者 瑞恵   2013-12-19 18:31:28
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