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M5 幻華 Distractionof Ω 

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ボーナストラック:μμタンバリン(アレンジ&プログラミング:Team S)


Vo    Nachiko

Dr    :そうる透

Bass   :渡辺建

Bass   :和佐田達彦

G      :田川ヒロアキ

G   :竹内亨規

Key    :河野啓三

Key    :河本慎一

Vi    :武藤祐生

和太鼓 :響道宴


Mix :岡野高史

All Music&lyrics:舘岡奈智子

All Produce&arr.:そうる透

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La Lumière 

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怪・第四話

「怪」について色々書いてきた。
並べて日常的なことまで含めると
書ききれないので幾つか ここで語って
きたけれど今日は私の「怪」に対する
考えを書こうと思う。

私が体験した中で私と一緒にいて
同じ体験をしたことのある人もいる
話を例にだすことにしよう。

東京ローカルの私は よく同じ道を
狭いエリアで通る。
自宅から車で渋谷に向かう途中に
天現寺という場所がある。

そこの交差点を左に曲がって
真っすぐ行くと通称・目黒トンネルと
呼ばれるトンネルがある。

このトンネルは途中にトンネル内に
降りれる階段がある。
私が家に帰ろうと思い ここを目黒方面
から天現寺方面に進んだところ、
ある日から途中にあるトンネルに
降りる階段の処に長身の男性が
ベージュのスーツを着ていて、上着だけ
脱いで片手で肩にかけて立っていた。

何の変哲もない風景なのでそのまま
過ぎて行った。

ところが何回通っても その男性は
いつも同じ格好でそこに立っているのだ。

変だと思い話題にしてみた。
「ねぇ、いつも立っている人居るんだけど」
何となく薄らと私は、その男性が
俗にいう非日常的な人物ではないか?
と思い始めていた。

普通に考えても 人がずっと立っている様な
場所ではない。
それで友達と一緒に その場所を車で通って
「そこ、そこ!」と指をさした。
すると一緒に居た友達も同じ男性を見たのだ。

以来 暫くその男性は そこに立っていた。
通る度に立っているので、一緒にいる人も
見るから
「今日も立っていたわね。」と
会話の一部になっていた。

それが1年くらい続いただろうか。
ある日 通ったら もう立っていなかった。
一体あの男性は誰だったのだろう?

何で あそこにいつも立っていたのだろう?
疑問は少し湧いたが いつも透き通った
影を見たり何かしら見ることが多かった
ので、その類いのものかと解釈した。

それで私の多次元の確信へと繋がって
いく過程の材料は増えていくばかり
だった。

私の頭では説明のつかない現象に
ぶつかると またかと慣れてしまい、
そこで終わるのだが段々と年を
重ねると「何故?何なの?」という
疑問のような物に変わっていった。

多次元といえば すぐに地獄と天国とか
色々思い浮かべる人が多いと思う。
宗教では いとも簡単に説明する。

用語こそ違っても現在の世界と、
死後の世界、生まれる前の世界、
また神のいる世界、天国と地獄の
間にあると言われている世界…

宗教的に何の宗教でもいいから
視点を移せば安易に説明がつく
のかもしれない。

私が思ったのは そうではなかった。
安易なのが好きでなかったわけでは
ない。宗教には必ずといっていいほど
共通点がある。

それが一神教でも多神教でも、
突き詰めていけば「良心」とか
人智を超えた存在を中心に置き、
悪いことをすれば死後良いことは
ないという教えだ。

私は「悪い事=正義」だとすれば
この世に正義など無いと思っている。
正義など その時代や状況で変わって
しまう。

普遍の正義を信じたい。

その辺の私の持論は以前出した
2ndアルバムに入っている
『無彩色の情景』で歌った。

これは持論だから着地ライヴと
銘打った帰還ライヴでも歌った。
私が宗教を信じないとか、信じる
とかの問題ではない。

自分なりの信仰は持っているし、
決して無信仰だなんて言わない。
ただ人間は幾ら正しいと思われる
教えの宗教を持っていても、
時代に翻弄され正義を歪めされられる。

だから宗教的視点から捉えたくなかった。
すぐに浮かんだのは多次元の話だった。
パラレルワールドでもいい。

これは私にとって素敵な捉え方だった。
登場人物は同じでも全く違う人生を
並行して生きているわけだから、
今不幸のどん底でも最高に幸せに
なっている自分がいるかもしれない、
とか早くに亡くなったけれど
別の次元では元気に生き生きと
生活しているかもしれないなんて
想像しただけでワクワクする。

姿を見せなくなった弟の栄も、
パラレルワールドなら私と
図書館に行ったりして姉弟の
楽しい暮らしをしているかも
しれないのだ。

パラレルワールドといえば
シュレーディンガーの猫を
思い出して気分が悪いのだが、
否定できないわけだから、
この捉え方を良しとしようと
思った。

ちなみに このシュレーディンガー
とは大切な命・猫を
とんでもないことに使った
動物虐待者と当時は思っていた。

でも批判や諸説が出てきたので
もしかしたら、この猫は
パラレルワールドを思えば
物凄く有名な猫なのかとも思う。

異次元で この猫とシュレーディンガー
は仲良くしていたかもしれないし、
猫に何かされて大変な目に遭っている
かもしれないと思うことにしたから。
このオジサンは、何をしたかというと
蓋のある箱を用意して、この中に猫を
一匹入れたのだ。

箱の中には猫の他に、放射性物質の
ラジウムを一定量と、ガイガーカウンター
を一台、青酸ガスの発生装置を一台入れて
置いた。もし箱の中にあるラジウムが
アルファ粒子を出すと、これを
ガイガーカウンターが感知して、その先に
ついた青酸ガスの発生装置が作動し、
青酸ガスを吸った猫は死ぬ。

しかし、ラジウムからアルファ粒子が
出なければ、青酸ガスの発生装置は
作動せず、猫は生き残る。

一定時間経過後、果たして猫は
生きているか死んでいるか。
(ここで その猫の役をお前がヤレ
と思った私がいた)

この系において、猫の生死はアルファ粒子
が出たかどうかのみにより決定する。
そしてアルファ粒子は原子核のアルファ崩壊
にともなって放出される。

この時、例えば箱に入れたラジウムが
1時間以内にアルファ崩壊して
アルファ粒子が放出される確率は
50%とする。
この箱の蓋を閉めてから1時間後に
蓋を開けて観測したとき、
猫が生きている確率は50%、
死んでいる確率も50%。
したがって、この猫は生きている状態と
死んでいる状態が1:1で重なりあって
いると解釈しなければならない。

普通 我々は経験上、猫が生きている状態
と猫が死んでいる状態という二つの状態を
認識することができるが、このような
重なり合った状態を認識することはない。

これがシュレーディンガーの猫と
言われる、気分の悪い実験の概要だ。

この思考実験は批判されたけれど、
量子力学が引き起こす奇妙な現象を
説明する際の例示に用いられるように
なる。

どうやら難しくて私は よく把握できなくて
よくよく読んでいったら、この
「重なりあった状態」とやらが、大きい
点らしい。

きちんと観測機器を使って粒子を観測し、
確率解釈と結びついて結果的には
粒子のようなミクロの系の重ね合わせが、
猫のような(どーして猫を使ったか頭にくる)
マクロの系の重ね合わせを導きうることを
指摘したそうだ。

現在では猫ではなく、巨視的に量子力学的
現象が観測されたと報告されたことがある、
と書いてあった。

本当に色々な解釈をされている。
中でもエヴェレット解釈というのが
あって、『エヴェレットの多世界解釈』
には、この実験に矛盾はないとしている。

こういうのって対のように量子力学と
何とか哲学が、またそれぞれの解釈をして
色々説を出す。

何とかパラレルワールドの世界を
実証して欲しいと思うのだが、調べると
このオジサンの名前が必ず出てくる。

それを言ったら、テレポートだって
非日常的な事になる。

さっき脇に居た人が、ふっと消えて
逆の方向から歩いてきたり、
置いてあったものが別の処から出てくる
のも調べれば難しい事を書いてある本に
行き着いて研究している人達がいる。

そんなの皆「怪」とか「超常現象」とか
表現される。怪談話という文字から、
暗いとか怖いものが「怪」と称される
のだろうか。摩訶不思議な出来事は
「超常現象」と言われているのでは
ないかと思う。

いずれにしても現実に体験している事
なのだから私は自分を信じる。

人間には探究心があるのだから、とことん
実証できるならすれば良いと思う。

ただし生き物の命を奪って欲しくない。
私は あのベージュのスーツを着た男性は
他の次元の人だったと思っている。
たまたま何らかの数式にしたら
大変な量の事情で私と友達は
見えたのだと思う。

私が 力学に親しみを感じるのには
理由がある。

さかのぼれば初めてゴッホ展で、
ゴッホの絵画の前に立った時だった。

絵画の前に物凄いパワーがあった。
身体を絵の中に持っていかれるような
パワーと、たくさんの人達が
熱い感動なのか、驚きなのか
何か強いインパクトを受けて出す
独特の空気が塊になっていた。

私は ひたすら絵画が放つパワーに
圧倒されて脚が動かなかった。
その時強く思ったのだ。

たくさんの人のインパクトを感じた
心は、そこにパワーを残骸として
残していくと。

だから、またその作品は そのパワーに
揺さぶられて益々パワーを増すのだ。

あのタッチは本当に魂をガクガクと
揺さぶられ荒れ狂う大海の大波に、
全身をさらわれるような衝撃だった。

では、そのパワーを実験で測れるかと
言ったら、測れないと思う。

そんなことは、その辺にゴロゴロしている。
今 私の日常で もし一つでも人が聞いたら、
非現実的だと思うことが毎日ある。

毎日なので愚痴っぽくなるが、
私は眠っていないのに
目を閉じて座っていると、
寝ている時もだが何の本だか
わからない本を何故だか読んでいる。

残念ながら目を開けると本の
内容を忘れている。

最初は携帯を握ってサイトの文章を
読んでいるのだと思っていた。

ところが気づくと目を閉じていて、
携帯は握っていない。
そばで犬猫が騒いでいるのも
わかるし、TVをかけている時は
TVの音もわかる。

どうやら何の本だか知らないけれど、
同じ文字で縦書きの大判の本を
私は どこかで読んでいるらしい。

その本を読んでいるうちに、
眠くなって寝てしまうパターン
なので理屈っぽい本なのかも
しれない。

今のところ毎日なので、その私と
何らかの理由で接点があるのか、
実際に異次元で本を読んでいるのか
私には わからない。

それを人は、何という現象というか
わからない。

きっと今 そんな体験をしたことがない
人でも何かのキッカケで遭遇すると思う。

大抵 家族や親しい人の生死に関する時に
不思議な体験をする人が多い。
自分が臨死体験をした人も同じことを
言う。

この世は見えている部分は わずかでしか
ない。脳だって使いきれない。
私達が見えているものだけが、全てだと
思っていたら不公平で卑屈になるしか
ない場面も多くなるだろう。

私が今までで一番確信を持っていえるのは
気持ち悪いオーブ(玉揺)を見ても、
その集合体を見ても、
なるほどと思うくらい自然にしていれば
いいのではないかと思う。

こういう物は何かと悪徳商法にしやすい。
ちょっと不思議な思いをしたり、
怖い思いをすると 必ず 金銭を要求して
お祓いだの何だのを商売にしている
人が出てくる。

もしかしたら本物かもしれないが、
本物は逆に金銭は要求しないと聞く。
それは自分の役目を知っているからだ。

私は そのうち何の本なのか、
どんな内容なのか わかる日が
くるかもしれないと思っている。

そしたらブログに書こうと思う。
「怪」は妖怪にも使うから、
よけいに印象が暗いのかもしれない。

妖精や妖怪を信じるも信じないも
あなた次第だ。
でも もし居ないなら何故、
そんな言葉や想像画としても
存在しているのだろう。

ちょっと考えれば
わかることだと思う。

2013-12-17 08:31:13投稿者 : Nachiko
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    コメント一覧
    瑞恵さん
    幽体離脱って、よく臨死体験の本に出てきますね。召されると魂の重さだけ体重が減るとかいう話もあるし、否定する人もいます。いずれにしても経験した人にしか語れない何かを感じるのです。
    サイト管理者 Nachiko   2013-12-18 05:00:29
    guest
    私は今までその事を平たく考えていた。「霊」だの「夢遊の類い」等と。臨終を数日後に控えた主人は幽体離脱を経験したと話した。その時私は深く考える余裕が無い精神状態だったので聞き流していたけれど、それって本当は彼にとって貴重な体験だったのだと後で知った。
    投稿者 瑞恵   2013-12-17 17:40:11
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