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シンガー&ソングライター、音楽クリエイター、物書き、産業カウンセラー、思想家。

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M1 紫の糸 ~光を~ La Lumière

M2Prisoner

M3  ホ・ン・ネ Real intention

M4 夕映え It was good die in loneliness

M5 幻華 Distractionof Ω 

 M6 体が風になるまで Return Me!

ボーナストラック:μμタンバリン(アレンジ&プログラミング:Team S)


Vo    Nachiko

Dr    :そうる透

Bass   :渡辺建

Bass   :和佐田達彦

G      :田川ヒロアキ

G   :竹内亨規

Key    :河野啓三

Key    :河本慎一

Vi    :武藤祐生

和太鼓 :響道宴


Mix :岡野高史

All Music&lyrics:舘岡奈智子

All Produce&arr.:そうる透

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La Lumière 

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何故 また歌いだしたのか…

いつの頃からか夜の しじま(黙・静寂)に輝く星が、
私の街では ほとんど見えなくなった。
大都会の喧騒の中 夜の帳(とばり)がおちて
空を見上げ月の満ち欠けや星座を探すのが
好きだった。

特に夜の児童公園は
何の人の気配もない空間で
無人のブランコが
無風の宙で揺れたり、
ボーっと誰かの視線を
感じたり 大きな伸びをするには
私にとって
第六の触感に触れ心地の
良いものだった。

自分のオリジナル・アルバムを夢中になって
制作したり 細々とCM音楽などを創って
大きなスタジオか自宅スタジオに籠る日々は、
今思うと毎日に忙殺され 当時表に顔を出さない
というブームが流行った頃の私には好き放題やって
いた気がする。
元々 引っ込みじあんだし目立つことを好まない。
人を押しのけて自分が有名になりたいなどと
全く思わない。ただモデル事務所に
所属していただけで
まさか自分が、この先何かやるハメになる
などとは想像も出来ない事だった。
そもそも あらゆる物を
取り上げられて育った私には唯一許されていた
クラシック・ピアノと声楽しか遊びがなかった。

いざ歌いたくても人の歌を聴く機会もなく
幼い頃から歌いたかったら自分で
創るしかなかった。
両親に隠れて深夜放送ラジオや
アルバムを人から
借りて聴きまくっていた時のエネルギーは
今考えても
乾いたスポンジが多量の水分を
あっという間に
吸い込むような感覚だった。

友達交友禁止・TV・修学旅行も
行かせてもらえなかった。
私は常に“孤独”が友達だった。

ある日 いきなり呼ばれて行った先が
見学だろうと思っていたら、
あららら…のCMソングを歌うことになって
いて、突然渡された初見の譜面を歌わされた
事から人生の方向が変わっていった。

創作することは頭でっかちになることではなく、
私にとって社会を映し出す事であったり、
文学の文字の世界を
楽曲化することとして楽しんでいた。
そこには、猛烈な風刺があったり
シュールな表現でなければ
まずいだろうという遠まわしな手法が多かった。
好き放題アルバムを多額のお金をかけて
創らせてくれた事は
とても ありがたかった。

そして時は経ち 私のようなビジネスを
求める人間でない者は、
やれマスター・テープ紛失だとかいうウソも信じて、
 知らない裏で成されている事にも
我関せず その後 何十年も誰にも真実を
教えてもらえないまま過ごしてきた。

創作の火は消えず、場所を移してシナリオの
勉強をしたり、絶えず何かしらやっていた。
一時は映画の試写会巡りを
するのが楽しかった。
狭い試写室でも嬉しかった。

並行して何でもチャレンジする私は
色々な事をしていた。
棄てられた動物保護のため家を改造して
病気の仔猫など
失明の手術を免れるために3時間おきに
薬を何カ月も塗る傍ら、他の犬猫の世話をし
保健所からも引き取り、
他の飼い主達の動物への冷たさに
驚くばかりだった。

実家では避けては通れない
高齢の祖父の介護が待っていた。
徘徊が始まれば素足で追いかけ、
オムツから大便を
投げつけられる日々もあった。


その前に欧州に住んでいた友人から
チェルノブイリで国内の食品が
 どう扱われているかを聞かされた時、
ある処から唯一の原爆投下国の日本が
欧州で売れないパスタ類を輸入し、
日本でパスタブームが意図的に
作られたなどと まことしやかに聞かされた。

このチェルノブイリの事故の後
 母が たまたま無知ゆえ
観光に行って驚いて、
以来根っからの母の学者肌に拍車が
かかり放射能関係の本が
実家にズラリと並ぶこととなった。
小出教授を知ったのは
その頃だった。

当時 チェルノブイリ事故の雨。
 知らないうちに雨が降り
庭で遊ばせていたという長男に、
その友達が癌保険を
かけたのは言うまでもない。

何かが おかしい。
私の頭には常に警告音が鳴っていた。
何なのか わからいまま、
世の中が見えてきた。
あまりのメンタル問題の多さ・自殺
(報告されて表示されて
いない数は もっとある)事に目がいった。

私は このままでいいのだろうか?
カウンセリングを勉強を始めメール・ネット
・対面式と、
こなすうちに気付くことが幾つも出てきた。
自殺危機介入に当たる度 確信へと近づいた。
この頃 世の中は二ートを問題視され、
わざわざ籠っている部屋から出そうと
原因も考えずに行動する
事を推奨する考えや行為が行われ始めた。
二ートを扱って論文を書いた私は
二ートを擁護する内容だった。
今でこそ「モンスター・ペアレンツ」など
普通になっているが昔から存在し
表面化しなかっただけだ。
今は筍のように乱立する
心療内科や高額の
カウンセリングの家族相談などあるが
当時は、日本でしかニートはなくて
海外では子供は ある程度成長すると
実家を出て独立するものだと
その時のアメリカ人の教授が話していた。
日本の「恥じ」をテーマに
博士論文を書いた先生だった。

奥ゆかしい日本の「恥じの文化」が逆に
働いている事実に
私は日本人ゆえ気付かなかったことを知った。
日本人は「世間体を大切にする傾向がある。

これは「老人介護問題」
「福祉の遅れに国民が憤れない事」
「人前で良ければ他人に家庭事情を
相談せず背負い込む」
ことなど あらゆる方面に通じる考えであった。

実際 クライアントさんを前に
カウンセリングをしていて
後味に残るのは、
いかに人々が会話に飢えているか。
雑談でもいい。ちょっとした愚痴でもいい。
彼等は カウンセリングを受けなければ、
受容・共鳴・傾聴
の機会を得られないのだった。

何て希薄な人間関係になって
いっているのだろうと
驚く出来ごとは幾つもあった。
そして必ず、何かに責任転嫁をして自分を
見つめ直さない。
つまりカウンセリングでいう「気付き」まで
到達するまでの時間が とても長いのだ。

一人に50分として金額など
ほとんで考えられないくらい
頂いても、決して私一人なんて
何の役にも立たない。
せいぜい 運で自殺危機に介入し、
消息不明になる寸前で
力になれた事くらいで自分の微々たる力に
情けなくなるばかりだった。

私の日々は、環境的忍耐と
自分が存在することによって
召される前に何か役に立つことを
したいという方向へ行った。
潜入取材をしたり今思うと
もがいていたのだろう。

生きていれば 命の儚さも
その年齢ならではの
悲しさ・寂しさ・孤独に遭遇する。
人は独りでは生きれない。

私に一体何が出来るのか。
それは今思うと その後にやってくる
地球規模の福島の原発事故への嵐の
静けさだったのかもしれない。
妙なワサワサ感と、飽食で傲慢な人間が
増える中
いっこう減らない自殺率。
おまけに離婚率は増え日本では、
何が何でも相手に
有り得ない罪を被せても親権を
取った者が勝ちなのだ。
何て 後進国なのだろうと またまた驚かされた。

悶々とした日を送っていたある日、
その日は来た。

2011年3月11日。

私の中で「ああ、来た!」と強く思った。
急いでマーケットに行ったら
どこも棚はカラッポ。
衝撃的な出来ごとは
私に残された人生観を大きく変えた。

暫く国の体制に絶望するばかりだった。
そうしているうちに、どんどん あらぬ方向に
動いて行くのがわかった。
あの年 暑い中 6万人集会に行き、
そこで見たものは純粋に訴える人達と、
あきらかに
この騒ぎに紛れて乗りだしてきた人達だった。

どこまで国の発表を信じるかを問われたが、
このネット社会は
海外メディアからのニュースが拾える。
国は国の方針があり、
即効で何も変えられない。
嫌というほど利権の構造が暴かれ
失望は増すだけだった。

人には それぞれ出来ること
役目 向いていること
可能な事がある。
あらゆる努力をした。
この私の華奢な身体では現地で倒壊ガレキを
片づける体力がない。
少なくても子供達だけでも短期間の避難をと
連絡をとったり色々したが、
結局は その費用で行き詰る。

そうこうしているうちに 本当に大変で
 一生懸命頑張っている被災地や
被災者に「応援ソング」なるものが
沢山出てきて
取り上げられるようになった。

まるで逆の歌ではないか?
一生懸命生きている人に、これ以上
何を「頑張れ!」と応援するのだ?
カウンセリングの世界でも、
メンタル医療の世界でも「禁句」なのだ。

被災地に向けて 商売が始まった。
福島や 他の地域で 水面下で不安と
不信が深くなり報道の食い違い
に、戸惑う人・無視する人と
分かれていった。

知れば知る程 救いようのない事実が
浮き彫りにされていく。

私は 自分の経験している生死を思うと、
今問われているのは
批判や怒りだけではなく、それらは
他の人に任せて、
今までファッション的な
「癒し・希望ソング」ではなく
私が信じる人智を超えたパワーは、
どんな時でも
「感謝」と「愛」を持っていれば
想定外の奇跡が起こり、
人は多大なパワーと宇宙からの恵み
(太陽を恵みと考えずに何といえよう)、
避難した子供と家族の
家族崩壊・残された父親の自殺・
孤独死などに
光が届くと信じて
「応援歌」ではなく、しみじみとした
作品・共鳴出来る作品・辛い現実を忘れて
異空間に行ける作品を提供して、
もっと人々が繋がれる手段を
今こそ発信したいと考えた。
自分を賭けて音楽の世界を
切り口に残りの
人生を送りたいと思った。

それから自分の過去の作品の
権利関係を調べていくうち、
あまりに、おぞましい汚い事が
自分の身に降りかかっていながら、
「マスター・テープ紛失」というウソで
隠されていた事を知った。

時として“知らない”とは
お気楽で良いものだ。

まさか また音楽をやるとは
自分でも思っていなかっただけに、
権利関係もスッキリした事もあり、
自分に出来る事・スタンスを
踏まえて こんな私でも
失いつつある大切な物を
発信したいと強く思った。

何故 また歌いだしたのか…

自分が見て来た美しい日本。
そして今の日本。
自分が生きてきて経験した事。
感じてきた事。

伝えたいこと、訴えたいことを話し、
今度は人前に出て歌って行って
人に 温かい気持ちになって
もらえるような事をしたい。
時に共に手を取り合い泣きたい。

いつも あなたは独りじゃないよ、
と伝えたい。
たくさん愛されてるいるのだと
気付かせてあげたい。

自分が愛されていないと思うなら
自分が誰かを、何かを
愛する事から始めればいい。

処分を待つ犬や猫一匹でもいい。
おもいきり抱きしめてみて欲しい。

私は 決して恵まれているわけではない
と思うけれど、それは間違いだと気付いた
時から静かに…静かに…
「今」の扉を開け始めていたのかもしれない。


2013-08-12 23:59:33投稿者 : Nachiko
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